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新たな生活を構築

鞍馬

テレビやネットより聞こえてくる、
被災した人たちの悲しみと苦しみ、
続く余震と放射能関係の情報に疲れていた自分は、
半ば強制的に友人の車に乗せられ、西へ向かった。

都内のコンビニの駐車場に車を停めると、大きな地震が起きた。
震源地は静岡、東名が通行止めに。
どこへ行っても逃げられないような気がした。
それでも、家族と友人を残して行くことに、
後ろめたのようなものを感じたまま、西へ向かった。

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京都について、数日後、鞍馬寺へ行った。
何百年も前に天変地異を鎮めるために建てられた寺で、
一人でも多くの人が救われることを祈った。
自分ができることは、そのくらいだった。

まるで天下をとったような人類も、残念ながら、この地球のエネルギーには勝てない。
だから、日本古来からの考え通り、自然と敵対するのではなく、
共存する方法を、もう一度考えなければならないのだろう。

鞍馬、京都(Kurama,Kyoto)

以前の日常を取り戻すのではなく、新たな日常を構築するつもりで、
これからの時間を過ごしたい。

深呼吸を。

Bidart/France
France 2008

結果的にこの地域では行われなかった計画停電。
それに振り回された一日になった。
東京電力も必死にこの困難に立ち向かっているのだから、
彼らを責めることはできない。
こういう状況では、その不安や苛立の矛先を探してしまいがちだ。
それに、あの原発関係者の緊張感は、
自分たちが感じているそれとは比べものにならないだろう。

海外の友人たちが海外へ避難することを強く勧める。
それは可能だけれど、家族や友人を置いていく気にはならないし、
もう少しだけ日本の技術を信じたい。

ただ、さすがに地震や原発関係のニュースには疲れてしまって、
一日中見聞きしていたけれど、そろそろ遮断する時間も
一日に何時間か意識的につくろうと思う。

深呼吸を。

苦難は闇だけれど、その中にも光は必ずある。

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明日からこの地域も計画停電ということで、
一日に3時間の停電が二度計画的に行われる。
その影響で断水も起こり、交通手段もかなり乱れることになるだろう。

比較的被害の少なかったこの地域でも、
精神的な疲れは、かなりのものになってきている。
被害の大きかった地域の人たちの苦しみや不安は、
想像を超えるだろう。

今できることは、節電と停電や断水に耐えること。
こんなに電気や水を不自由なく使える国はこの地球上には多くないのだ。
それを知る良い機会にはなるだろう。

苦難は闇だけれど、その中にも光は必ずある。
そう信じたい。


東北関東大震災

earthquakes

盛岡にいる兄家族は無事ではあるが、
まだ電話も電気も使えない状況だと言う。
余震と流れの悪くなった我が家のトイレ以外は、
この辺りは日常的な風景だ。

だから、これが非常事態だという実感があまりない。
しかし、この数日中にはその状況も変わるかもしれない。

余震への警戒心の影響もあるだろうけれど、
テレビの画面から放たれる、被害の大きな地域の方々の、
恐怖と疲れ、絶望と悲しみが一番自分をすり減らす。
だからと言って、目を背けるわけにもいかない。

募金も本当に微力なほどではあるけれどさせてもらった。
こんなときに、自分や自分の無力さを感じるけれど、
できることをやり、
一人でも多くの人が、生きて救助されることを。
一人でも多くの人が、この惨事を乗り越えられるように。
ただ、祈るしかない。

インタビューアーは聞く、
「今、あって助かるものはなんですか?」

男は答える。
「それは家族や友人の愛ですね」

人間にはどんな逆境も乗り越えられる力と
そこから学ぶ力を持っている。そう信じたい。

どんな気分だろう。

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3月8日より東京は表参道にて、友人の陶芸家岡崎裕子が個展を開催しており、
その初日に顔を出してきた。接客に忙しそうにしているその友人は、
陶芸界の新旗手として活躍している。

その活躍は、展示会初日の開展前に100人ほどの行列ができ、
決して安くはない彼女の作品が、初日だけで300点以上も売れてしまったことからもわかる。

本人は「ブームよ。いつか弾けるわ」と、とても冷静に受け止めていたけれど、
今回出展された作品には、まるで器の中に命が宿っていて、手足をばたつかせ、
こちらをみて微笑んで話しかけられているような、そんな感覚になる作品があった。
勿論こんな感覚は今まで感じたことはなかったし、こんなことを言っている
人がいたら「うさんくさい」と思っただろう。
が、そんな感覚が実際にあったのだから仕方ない。

また、触れると器から体にエネルギーが体に入ってくるような、
植物に触れたときのあの心地よい感覚があった。
陶芸家というのは、土と会話をしながら創るらしいから、
その対話がうまくできた人間に出せるエネルギーなのだろう。

「私は今、お腹の子を入れる器になっています。自分が新しい命の器になってみて、
内側や内包物に対する思いが強くなりました。
そしてその思いを自分の品に反映したくなりました」
という彼女の言葉通り、器の中を覗き込むとそこには銀河系が広がっていて、
そのトリップ感にはっとさせられた。彼女は新しい命と人間の体内に広がる小宇宙を
表現し、観る人全てを一つにさせてしまった。

これは悔しいことに自分が絵でやりたかったことだったし、
これこそが本物の芸術だと思っている。
しばらくこの余韻と興奮を楽しもうと思う。
そして、近々あの器を買いたい。あのような器で食事をしたらどんな気分だろう。


展示会の詳細は以下
http://studiokapi.exblog.jp/

制作を再開して

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2011 2817_1

4月に原宿で開催される展示会にも出展をさせて頂けることになり、
制作意欲がかなり戻ってきました。冬はどうしても怠慢になってしまいますが、
充電期間と考えれば、必要な時期だとも思います。

制作を再開して

制作を再開したものの、今までどうやって絵を描いて来たかを忘れてしまっていて、
前はどうやって描いていたかな? と過去の作品を引っ張りだして来ようとしてしまいがちですが、
そこを我慢して、描き続けると以前のスタイルに頼らず、新鮮なものがつくれます。

継続は力になりと言いますが、こうやって距離をおくことも
時に必要なようです。



距離

my desk
my desk at my place

朝5時まで作業する日が続き、覚醒気味になっているけれど、
良い緊張を感じている。

そして、昨日の暖かさは、この長い冬を潜っている自分には、
救いの息継ぎになり、春がちかくまで来ていることを感じさせてくれた。
自分の一年は5月から始まる。

distance

一部の人間に心を閉じているとか、
人間嫌いなどと思われてしまうことがある。

ただ、そういうことを言う人は、
だいたい自分が苦手に思っていたり、距離を置きたい人だから、
そう思われても構わないというか、当然なのだ。

良い週末。




あれも冬だった

cw-x aoyama Tokyo

去年の年始から青山スパイラルにて、使用されていた作品が
今週月曜に撤去され、リニューアルされた。

思い返すと、ard bitのアートワークを完成させた頃、
まだ、デジタル処理することにまだ抵抗があった。
しかし、この仕事をきっかけにデジタル処理も、
一種の筆だと思えるようになった。
この仕事を頂けなければ、Geskia!さんのジャケに使った
ようなスタイルには辿り着かなかっただろう。

そして、インドへの旅からすっからかんになって
帰国し、工場や倉庫などで働いていた時期でもあり、
そんな流れを変えることができた仕事だった。


あの時と同じように、目の前のことに向き合って
いれば道は開け、良い風が吹いてくるものだと信じている。


19歳の頃に描いた絵

old works

これは19歳の頃に描いた絵。
バルセロナの巨匠ジャン・ミロの影響をかなり受けていたことは、
説明しなくてもわかるだろう。

若さゆえの過剰な自意識と
自分は誰にも受け入れられない。
そういう自己嫌悪と絶望みたいなものがあった。
その感覚は中学に入学した頃から蓄積されたもので、
今でもそれは多少尾をひいている。


生きていることに感謝

Manchester
live art in Manchester

先週末、友人が仕事中に交通事故に合い、救急車で病院に運ばれた。
雪でスリップしたバスと停車していたバスに挟まれそうになったところを、
誰かがその友人を突き飛ばし、間一髪で大事にはならなかった。
不思議なことに、そのとき周りには誰もいなかったという。

別の友人も子供の頃に滝壺に落ちたことがあり、
水の中で背中を誰かに押されて、溺れることもなく、
一命をとりとめたことがあるらしい。

そういうことがあってもおかしくない。
この世界には目に見えない力が働いている。
もしかしたら、目に見えないものの方が多いのかもしれない。

どうあれ、大事にならなくて良かった。
これでまた、会える。

Sin FangのTwo Boysを聴きながら。